6.直哉の提案




そしていよいよ新一年生の入学を迎えた。
祥太郎は胸を張った。紺のスーツに新調したピンクのネクタイを締めると、気分が引き締まった。
今日から1年生の担任になるのだ。直哉はまだ往生際悪くブツブツとぼやいていたが、祥太郎はワクワクとこの日を待っていた。

「また今日から当分会えないんだから、そんなに拗ねないでよ。」
「だれが拗ねてなんか…。先生が浮かれているから、そんな風に感じるだけです。」

直哉の不貞腐れた顔を鏡越しに見ながら、祥太郎ははいはいと生返事をした。

大学の春休みが明けるにはまだ間がある直哉は、祥太郎の部屋に居座っていたいようだが、そういうわけにはいかない。祥太郎だって恋人が傍にいてくれるのは嬉しいが、直哉の場合それだけでは済まないのが目に見えている。

「祥先生に担任なんて…絶対似合わねー。」
「まだそんなこと言ってるの。しつこいんだから、もう。」

祥太郎は怒った顔を作って見せた。

「僕の昇進なんだから、ご機嫌で見守ってよ。」
「だって…祥先生には今まで特定の生徒がいたわけじゃなかったのに…。」
「なに、それ。特定の生徒って。」

そういう言われ方をされると、なにやら特殊な職業にでも就いているような気がしてしまう。

「祥先生が担当を持って…担任の先生になって、ギラギラしたガキどもが祥先生を指して、これが俺の先生…なんてことを言うかと思うと、我慢ならないんです!」
「ん…もう。」

祥太郎は鏡から振り向いて、直哉と向き合った。見上げる背の高さの直哉はむすっとした顔をして祥太郎の背後に立っていたが、手を伸ばすと心持ち膝を曲げてくれる。
祥太郎はそのまま直哉の首に両手をかけて、自分の目線の高さまで、直哉の顔を引き下ろした。

「…意外とかわいいことを言ってくれちゃって。」

胸がドキドキと高鳴っているのが聞こえるだろうか?
この大人ぶった恋人は、時折酷く真っ直ぐに、祥太郎の心を射抜いてくる。

「僕の、特別の生徒は、直哉君だけだってこと…まだわかんないのかなあ。」

直哉の額に自分の額を押し当てて囁くと、直哉の頬がほんの少し染まるのが分かった。

「…祥先生は誰にでも優しいから、俺は安心できないんです。」
「僕が優しいなんて言ってくれるのは、直哉君だけだよ。」

実際、隼人などは祥太郎に面と向かっていろんな悪態を吐いてくれるし、あのナツメにいたっては詐欺扱いだ。
そう言って聞かせると、直哉は強く顔をしかめた。

「………その、ナツメってガキにも、くれぐれも注意してくださいよ。」
「大丈夫だよ。彼はロリなんだって、自分で言っていたもん。」
「だから…。」

直哉はため息をついた。

「やっぱり先生は、なんか抜けてて安心できません。一つ提案があるんですけど。」
「なあに? 僕もう出かけるんだから、早く言って。」

腰の辺りをぎゅっと抱きすくめられた。からかい半分のつもりで囁いていた祥太郎は、直哉の真剣な目つきに気付いてドキリとした。

「俺の部屋で、この先ずっと、一緒に暮らしてくれませんか?」
「え…。」

思いがけない提案で、祥太郎は一瞬言葉に詰まった。

「だって、僕ちゃんと、住むところあるし…。」
「ここはお姉さんの持ち物でしょう。お姉さんが所帯を持たれた今、いつまでも祥先生が管理をやっている謂れはないじゃないですか。それに…。」

ますます強く引き寄せられる。薄い腹が直哉の硬い腹筋に密着し、いつの間にか真っ直ぐ立ち上がった直哉に上から覗きこまれて、祥太郎は大きく背中を反らせていた。

「俺は先生を独占していたいんです。」
「そういうことは…もっと笑顔で言わなくちゃ。」
「はぐらかさないで下さい。俺は真剣です。」

祥太郎は慌てて視線を逸らした。このまま直哉の真摯な瞳を覗き込んでいたら、無計画に頷いてしまいそうだった。

「考えとく…から、手を放してよ。僕、もう、行かなくちゃ。」

少しためらった直哉の手が、しぶしぶ外される。祥太郎は急いで直哉との距離を取り、大きく呼吸した。
時間が迫っているのも本当だが、とりあえずはクールダウンしたかった。

「俺はいつだって、先生を独り占めしていたいんです。」
「だからぁ…、少しくらい距離があったって、僕はちゃんと…。」

逃げている、と、自分でも感じた。祥太郎はいつでも直哉とは距離を持っていたかった。
自分のためにだけではない。直哉のためにも。

「…さあ、もう行かなくちゃ。帰るときはちゃんと鍵をかけて行ってね。」

自分にも言い聞かせるように言うと、直哉が僅かに顔を歪めるのが分かった。





前へ ・ 戻る ・ 次へ